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明細書に求められる明確性要件は厳しくなるのか?殺虫スプレーの特許権侵害訴訟について解説します

2025年12月17日、特許権侵害訴訟において、東京地裁は、原告の特許権は権利範囲が不明確であるため、権利行使は認められない、とする判決を言い渡しました。

今回の事件では、裁判所が、特許庁の審査を経て登録された特許権の権利範囲について、不明確であると認定しています。しかしながら、裁判所が、登録された特許権の記載を不明確であると認定することは非常にまれであり、非常にめずらしい判決であるといえます。

そこで、今回は、この事件(令和6年(ワ)第70064号)について、特許請求の範囲の明確性要件を中心に解説します。

殺虫スプレー事件の概要

殺虫スプレー事件とは、アース製薬株式会社の製品「おすだけノーマット」の製造販売等が、大日本除蟲菊株式会社の特許権(特許第7026270号)を侵害するとして、争われた事件です。

原告である特許権者(大日本除蟲菊株式会社)は、アース製薬株式会社を被告として2024年3月1日に提訴したところ、東京地裁は、2025年12月17日に冒頭に述べた判決(棄却判決)を言い渡しています。

特許第7026270号の概要

原告の所有する特許第7026270号は、以下の課題を解決する特許です。

  1. 蚊類に対して優れた防除効果を長時間に亘って発揮する。
  2. 薬剤粒子が気中に残存することによる、人体やペットへの影響を低減する。

そして、本特許の請求項1には、以下の事項が記載されています。

a)害虫防除成分と有機溶剤とを含有するエアゾール原液、及び噴射剤を封入してなる定量噴射バルブが設けられた耐圧容器と、前記定量噴射バルブに接続される噴射口が設けられた噴射ボタンと、を備えた蚊類防除用エアゾールであって、
b)前記害虫防除成分は、メトフルトリン及び/又はトランスフルトリンであり、
c)前記エアゾール原液は、前記害虫防除成分を14.3重量%以上含有し、
d)前記噴射ボタンを1回押下したときの噴射容量が0.1~0.4mLとなり、
e)前記噴射距離20cmにおける噴射力が25℃において0.3~10.0g・fとなるように調整され、
f)前記エアゾール原液は、前記噴射口から、少なくとも一部が処理空間内における蚊類が止まる露出部に付着する付着性粒子として噴射され、
g)前記エアゾール原液を処理空間に1回噴射した場合、前記害虫防除成分の噴射量が4.5~8畳あたり5.0~30mgに調整される

h)蚊類防除用エアゾール(但し、自動噴霧装置本体に装着されてなる蚊類防除用エアゾールを除く)。

争点

今回の裁判では、以下の(1)及び(2)が争点となりました。

(1)被告製品が原告特許の権利範囲に含まれるか

(2)原告特許が無効理由を有しているか

また、無効理由では、以下の1.から4.が争われました。

  1. 特許請求の範囲が明確であるか
  2. 特許請求の範囲の記載が明細書にサポートされているか
  3. 特許請求の範囲に記載された事項が明細書で実施可能な程度に記載されているか
  4. 特許請求の範囲に記載された事項が新規性・進歩性を有するか

今回の裁判では、これらの争点のうち、(2)の1.特許請求の範囲が明確であるか(明確性)について、踏み込んだ判決がなされています。

判決

今回の訴訟では、原告特許の特許請求の範囲、具体的には、上述した構成f)が不明確であるため、権利行使は認められないとの判決がなされています。

構成f)

「前記エアゾール原液は、前記噴射口から、少なくとも一部が処理空間内における蚊類が止まる露出部に付着する付着性粒子として噴射され、」

この構成f)は、一見して、わかりにくい表現が使われているわけではないため、不明確でないようにも見えます。しかしながら、この構成f)については、原告と被告が以下の主張を行っており、その結果、裁判所が不明確と判断しています。

原告・被告の主張

まず、原告は、被告製品がこの構成f)を充足していると主張するにあたり、「付着性粒子」は時間が経過しても露出部に付着する粒子であると主張しています。したがって、この主張では、特許請求の範囲に記載されていない「時間の経過」について言及されています。

また、この「付着性粒子」について、被告は、噴射された浮遊性粒子との区別ができないとして、明確性違反を主張したところ、原告は、噴射後の挙動によって、付着性粒子と浮遊性粒子の区別をすることができると反論しています。

裁判所の判断

裁判所は、この「付着性粒子」が「時間が経過しても付着した状態を維持し、露出部に止まる蚊を駆除・防除する粒子」というためには、「時間が経過しても付着した状態を維持」といえるための付着の程度が明らかである必要があると述べました。

そして、原告特許権の明細書には、付着量を確認する試験方法、測定方法等については何ら記載されておらず、特定の試験方法、測定方法等が技術常識とはいえないと認定したうえで、明細書に記載されている試験が、「時間が経過しても付着した状態を維持」といえるための付着の程度を示すものとはいえないため、この構成f)について、当業者が理解することはできないと認定しました。

高裁への控訴

原告は、この判決を受けて、高裁への控訴を行う意向を示しています。よって、本件については、知財高裁で引き続き争われることが予想されます。

「蚊類防除用エアゾール」特許に関する特許権侵害訴訟について

考察

本件では、被告製品が構成f)を充足するかという点で、「付着性粒子」は時間が経過しても露出部に付着する粒子である、との主張がなされました。本件の請求項1には、時間の経過について記載されていないものの、課題の1.に「蚊類に対して優れた防除効果を長時間に亘って発揮する」があります。そのため、今回の訴訟では、この構成f)に際して、時間の経過に言及する必要が生じたのではないかと思われます。

また、今回の訴訟では、付着量を確認する試験方法、測定方法等が技術常識とは言えないとの認定がなされました。そして、この「時間の経過」が構成f)で言及されたことで、この時間の経過による付着に関する記載が明細書で要求されるところ、明細書に記載されている試験が、「時間が経過しても付着した状態を維持」といえるための付着の程度を示すものとはいえない、と認定されました。

この認定については、付着性粒子の付着量と時間の経過に関する実験例が記載されていないことを考慮すると、失当とはいえないと考えています。また、この点については、知財高裁でも重要な争点になるのではないかと思われます。

まとめ

今回の判決では、権利範囲の解釈として「時間の経過」が必要となることに起因して、明細書での説明が不十分であるとする明確性要件違反(特許法36条6項2号)が認定されました。

本件の特許権は、特許庁で明確性要件が認められた権利であるため、一見すると特許庁と裁判所で明確性要件の判断基準が異なるようにも見えます。しかしながら、今回の事件は、特許権者自身が権利範囲を多少限定的に解釈したことにより、裁判所での明確性要件が限定された解釈の中で求められたものであり、裁判所と特許庁で明確性要件の判断が異なるというものではないと考えています。

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