サブマリン特許について米国弁護士&日本弁理士が解説します
サブマリン特許とは
皆様はサブマリン特許という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
昨今では下火になった問題ではありますが、2000年代前半までは特にアメリカにおいて大きな話題を生んだ論点でした。
サブマリン特許とは、ある基盤技術について、世間一般には知られずに特許出願をしておいて、その基盤技術が世の中に浸透してきた頃に、急に特許権として成立させて、特許権者が既にその基盤技術を使っているたくさんの企業に対して、ライセンス料の侵害や権利行使を行う現象です。
いかにも海面に沈んでいる潜水艦(サブマリン)がある日突然浮上してきて、攻撃をしかけてくる様に似ているので、このように呼ばれ始めたのでしょう。
なぜこのようなことが可能だったのでしょうか?また今もこのようなことは可能なのでしょうか?
サブマリン特許の仕組み
特許制度とは、アメリカ特許入門でも概説した通り、自分の新しくかつ革新的な技術を世の中に公開する代わりに、特許権という独占権を一定期間だけ当該技術に付与してもらう制度です。
「世の中に公開」という要素がある以上、サブマリン特許が生まれる余地はないように思いますが、サブマリン特許が生まれたのは当時採用されていた法制度に原因があります。
具体的には、サブマリン特許が生まれる土壌としては、
- (1)特許出願公開制度
- (2)審査を長引かせる方法、
- (3)特許期間の起算点
が主に関係します。
以下日米別に解説します。
1.日本
(1)公開制度
現在の日本では、全ての特許出願について、その出願日(又は優先日)から1年6か月後に出願公開公報に掲載されることにより、公開されることとなっています。
また、特許出願について特許が付与されることとなると、公告公報に掲載されることにより、こちらも公開されることとなります。
したがって、全ての特許出願について、(1)出願日(又は優先日)から1年6か月後の出願公開、(2)特許付与時の公告公開という少なくとも2種の公開が予定されているわけです。
しかしながら、出願公開制度が導入されたのは1970年のことで、それより以前は公告公開制度しかありませんでした。
つまり、ひっそりと特許出願をしておいて、世間の目に触れるのは、特許として成立した後の公告公報のタイミングだった時代が存在します。
(2)審査期間
現代の日本では、特許の審査期間(第1回の拒絶理由通知や拒絶理由なく特許査定がなされるまでの期間)が平均して9か月~11か月となっているようですが、実際には特許庁の抱えている在庫の量に左右されるのが実情です。
一方で「サブマリン特許」と言われるほど、1つの特許出願について何年も審査が係属することは、過去でも現在でも極めて稀です。
サブマリン特許の背景には、「分割出願」制度の利用が考えられます。
すなわち、ある技術について特許出願を行った後、審査の過程で特許になりそうになった際に、分割出願を行って原出願の出願日を維持しつつ原出願を放棄する、この分割出願について同様に特許になりそうになったら、孫出願をさらに行って引き続き係属させる、という具合に、分割出願を複数回行うことで審査を長引かせることができます。
世の中における当該技術の浸透具合を見て、分割出願制度を活用することで、特許成立のタイミングを操作することができるといえます。
分割出願を繰り返すこと自体は制度上現在も可能ではありますが、時代の変遷とともに分割出願の濫用が特許庁でも問題視されてきた歴史があり、現在では分割出願そのものは制限せずとも、原出願と分割出願の関係を詳しく出願人に説明させる運用が確立するなど、濫用抑止の策が講じられております。
(3)特許期間
現代の日本では、特許権は、設定登録から効力を有して、特許出願から20年の間有効とされています。
つまり、審査に時間がかかってしまうと(設定登録が遅くなってしまうと)その分だけ特許期間が短くなってしまう制度になっているので、分割出願を繰り返して、例えば出願日から10年を審査にかけてしまうと、特許として有効な期間がその分短くなる(この例でいうと10年になる)ことになります。
このように終期が出願日を元に決定されていると、審査を長引かせようとするインセンティブを削ぐことができるといえます。
以前の日本では、公告日から15年という期間が採用されていた時期もあり、サブマリン特許が生じやすい環境にありましたが、途中から出願日から20年又は公告日から15年のいずれか短い方へと改正され、その後現在の出願日から20年に一本化されました。
2.アメリカ
(1)公開制度
アメリカも現在では出願公開制度が採用されて、国防に関する出願などごく一部の例外を除き、基本的には全ての特許出願が公開されます。
しかしながら、この出願公開制度が導入されたのは2000年のことで、そのときまで特許の存在を知ることができたのは、公告公報を以て初めてという事態になっていました。
2000年に出願公開制度が導入されたといっても、それは制度導入後に出願されたものについて出願公開されるというわけで、2000年以前に出願されたものについては相変わらず公告公報でのみ公開されていました。
よって、アメリカでは、特許庁に係属している出願の全体像が見えるようになってきたのは、2010年代になってから(2000年以前に出願されたものがほぼ全て公告又は拒絶となってから)と言っても過言ではないでしょう。
日本よりもサブマリン特許を生みやすい土壌にあったといえます。
(2)審査期間
現代のアメリカでは、特許の審査期間(第1回の拒絶理由通知や拒絶理由なく特許査定がなされるまでの期間)が平均して15か月といわれています。
日本では審査に長く係属させる手法として分割出願が用いられることは上述のとおりですが、一方で米国では、手続戦略でも解説したとおり、継続出願、一部継続出願、分割出願と日本よりも使える手法が多く存在します。
さらには、仮出願制度(1年間は審査されず本出願するか否かの待機期間)もあったりとして、これらを組み合わせると非常に長期に審査係属させることができます。
一時期は特許法施行規則を改正して、継続出願等をできる回数を制限しようという動きもありましたが、結局はうまくいかず、現在では、継続出願等から生じた特許権の終了日を原出願と揃えることで、サブマリン特許の温床を解消するアプローチを取っているようです。
(3)特許期間
現代のアメリカでも、日本同様、特許権は、特許発行日から効力を有して、特許出願から20年の間有効とされています。
以前は旧来の日本同様、特許発行日から起算して17年が特許期間とされていたため、審査を早く切り上げるインセンティブに欠けるものでした。
(4)先発明主義
これはアメリカ特有の事例ですが、アメリカでは2013年頃まで、先願主義(先に特許出願した者が特許を得る制度)ではなく、先発明主義(先に発明した者が特許を得る制度)が採用されていました。
先発明主義とは、先発明の事実を正確に把握することができるのであれば、理想的な制度ではありますが、実際にはその把握は極めて困難で(インターフェアランス手続という訴訟類似の手続で、証拠を出して立証していくことになりますが、先発明を主張する側の証拠を否定する証拠を見つけるのは用意ではありませんでした)、そのため技術がある程度浸透した後で、「自分が先に発明した」と主張して、後から特許を得る事例が見られました。
サブマリン特許の事例
ここで実際にサブマリン特許が問題となった事例を日米それぞれに見てみたいと思います。
ミノルタ・ハネウェル事件
<概要>
これは1987年のアメリカの事例で、ハネウェル社というのは、カメラのオートフォーカス技術について強みを持っていた会社でした。
一方ミノルタ社は、一眼レフカメラのオートフォーカス機能を当時開発していて、開発当初はハネウェル社と技術提携すべく交渉していたようですが、ハネウェル社技術の品質問題などがあり、結局は独自の開発を進めることになったようです。
その後ミノルタ社は、独自開発が実ってオートフォーカス機能付きの一眼レフカメラを発売し、これがアメリカでも大ヒットとなったのですが、ここでハネウェル社が「特許侵害だ」と訴訟提起をして、最終的にはミノルタ社が約165億円をハネウェル社に支払いました。
<サブマリン特許>
ミノルタ社がオートフォーカス機能付きの一眼レフカメラをアメリカで販売する際、当然特許の調査なども行ったでしょう。
しかしながら、ハネウェル社の行っていた出願については、検知することができなかったようです。出願公開制度がアメリカで導入されたのは2000年ですから、特許になって公告されない限り、その存在を知り得ないのですから、当然のことといえます。
ギルビー事件
<概要>
これは1990年代の日本の事例で、半導体技術を有するテキサス・インスツルメンツが、富士通に対してそのDRAM製品についてライセンス料の支払を求めたところ、富士通側から「債務不存在確認請求」の訴訟を提起された事件です。
結論としては、テキサス・インスツルメンツの特許が無効であることが確認されて、富士通の勝訴となりました。
<サブマリン特許>
テキサス・インスツルメンツは、自身の半導体技術について1977年に特許の設定登録を受けていました(1980年に存続期間満了)。しかしながら、この特許の孫分割出願にあたる出願が存在しており、この孫出願については、1989年に設定登録、2001年に存続期間満了であり、富士通との争いになったのは、まさにこの孫出願でした。
もちろん日本では出願公開制度が1970年に導入されていましたので、この孫出願についても出願公開されてその存在事態は知られている状態にあったといえますが、その大元の特許が1980年に満了しているのに、その期間をさらに20年近くも延長する孫特許の出現は、まさにサブマリンといえるでしょう。
顛末としては、孫出願を分割した際の手続が不適法だったと判示され、この孫特許は無効となりました。
現代における意味合い
出願公開制度が整備された現代、以前のように完全な不意打ちのサブマリン特許は生じにくい制度になっています。
しかしながら、現代でも分割出願(日本)や継続出願(アメリカ)を駆使すれば、審査を長期化させて、ある日突然やや不意打ちの特許が誕生することは否めません。
もちろん、分割出願にしろ継続出願にしろ、原出願の内容を超過する内容を組み込むことは原則できませんので、原出願の内容をよくよく読み込んで注意して備えることはできる点で、旧来よりは対策しやすいです。
しかしながら、同じ技術について違う側面からたくさんの特許出願を行って、ポートフォリオ化しているような場合、全ての出願の全ての内容に目を通して、分割・継続状況を監視しておくのは、難が伴われると言わざるを得ません。
実際に、特にアメリカでは、原出願が特許付与となったタイミングで、とりあえず将来に何かあった時に備えて継続出願を行い、原出願については権利化をしつつ、市場において原出願では対応困難な侵害技術が後で登場してきたら、継続出願の方を補正して侵害技術の内容に使づけて特許化し、権利行使を行うという戦略が現代でも採用されることがあります。
特許期間の終期が原出願から予測可能になったとはいえ、短い期間であっても特許権が発生すれば、その間については特許権者に当該技術を独占されてしまうことになります。
今でこそ下火にはなりましたが、今でも特にアメリカでは注視しておくべきなのがサブマリン特許です。特にアメリカ市場で商品販売をされる方は、サブマリン特許のリスクがあることを認識されて、対応について専門の弁護士・弁理士に相談された方がよいように思います。
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弁護士(米国カリフォルニア州)及び弁理士(日本)。国内事務所において約4年間外国特許、意匠、商標の実務に従事した後、米ハリウッド系企業における社内弁護士・弁理士として10年強エンターテインメント法務に従事。外国特許・商標の他、著作権などエンタメ法が専門。
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